見知らぬところで誰かの役に

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魚沼よみうり2010年3月4日号掲載

52)「大切なキョリカン」

23.jpg「大切なキョリカン」©市橋恭二 前を走っていた車が急に加速しました。車間距離を同じように保つにはアクセルを踏み込んで加速するしかありません。どうしようか。
 自分の年齢や運転技術、人を同乗させている場合や道路の混み具合、目的地への到着に余裕があるか、頭の中で様々なことを考えます。そして決断します。とにかく安全運転を心がけてハンドルを握るのがドライバーの務めでしょう。前後そして併走する車を頭に入れながらの運転です。大事なのは車間距離です。
 では、車ではなく人の日常生活に視点を置き換えてみましょう。車間距離の「シャ」を「者」に換えてみると『者間距離』になり、人と人との「キョリカン」です。
 家庭では親子ベッタリな状態だとどうでしょう。逆に親子の距離が離れすぎたらどんなことが起きるのでしょうか。兄弟同士や友達同士でも同じことが言えますね。親戚とでも同じでしょう。学校の先生と生徒の間、父兄との間、生徒同士の間も。会社で働くのだって同じでしょう。上司や同僚そしてお客様との間。どれも『者間距離』のようです。学校での不登校や退学する学生。喜びもつかの間、すぐ辞めてしまう新入社員。
 離れ過ぎず、近づき過ぎずちょっと視点を変えて考えてみませんか。世の中は嫌なことも楽しいこともありますが、感情のアクセルとブレーキで『者間距離』を保っていれば今の悩みが解決するのかもしれません。誰でも人生は自分の運転です。「大切なキョリカン」を意識しながら運転してみてはどうでしょう。

イラスト:(いちはし きょうじ)37年京都生まれ、千葉県柏市在住。97年に会社を定年退職し、
絵画制作をライフワークとして現在に至る。

2009・Back Number

1)「見知らぬところで誰かの役に」(カップ一杯のコーヒー)

ham0920.jpg©濱田恭輔
目の前にカップ一杯のコーヒーが置かれました。さあ想像してみようか。
コーヒー園で働いている人が見えますか?どこのコーヒー園ですか?
働いてるのは誰なの?コーヒー豆を麻袋に入れてるよ。
どんな人だい?どんな場所だ?船に乗せて日本にとどきました。
船長さんはどんな人だ?あたまがハゲてる?日本の港で誰がクレーンで下ろしたよ。
車でこのお店に届けた人はイケメン?
 ところでカップの方はどう。どこの土で作ったの?土は誰が運んだんだろう。
カップのデザインは誰が決めたの?誰が焼いたんだろう。
ステンレスのスプーンは誰が作ったんだい?それとここにあるお砂糖とミルクもだよ。
 どこの人か知らないよね。知るわけないよね。合計何人か。わかんないよね。
でも、みんなが頑張って仕事してくれたから、いまおいしく飲んでるんだ。
仕事はすぐに結果は見えなくても、どこかで誰かを喜ばす。そう信じて励む。
人生において仕事はけっして無駄じゃない。わかるまでには時間がかかるけど。

2)「可能性の宝探し」(1,024人の中から探し出そう)

ira0927.jpg©濱田恭輔
「自分には才能がない」、そう思ってはいけません。そのわけを言いましょうか。
 二人の兄弟がいました。育った環境は経済的に裕福 (ゆうふく)とは言えません。
むしろ貧乏でした。成人した二人はそれぞれの道を歩みはじめたのです。
 兄は、自動車メーカーに就職し技術者となりました。弟は、有名なマジシャンで、
たびたびテレビに登場するようになりました。何故二人の職業は違ったのか。
 人には父と母がいて計三人。父に両親がいて母親にも両親がいて祖父母まで含めると合計で七人。
祖父母にも両親がいて更に両親がという具合にどんどんと十世代さかのぼってみましょう。
そうするとなんと合計は一千二十四人になるんです。
 一千二十四人の中には凄く勉強のできた人もいたかもしれません。芸人だっていたかもしれないのです。
酒呑んでいつも親に逆らっていた人もいたかもしれない。
 たくさんの先祖の中から自分に合った「何か」を探す。探り当てた結果として、兄が技術者となり弟がマジシャンになった。
 宝探しの手助けが親の役目です。

3)「上に立つ眺めと判断」(上が動いて謙虚に聞く)

ham1011.jpg©濱田恭輔
 会社であれば社長がいちばん上に立っています。家庭であればお父さんです。
事情があってお母さんの場合もあるでしょう。とにかく上に立っています。
 上から眺めるのは威張るという意味ではありません。「上だから自分は偉い」ので
はありません。社長あるいはお父さんは山の頂上から下を眺めています。
どこを登ればもっと効率よく疲れずに登れるか。別な登山ルートがないか。
中腹で登っている課長の意見を聞いて自分の考えと判断が合っているか確認します。
麓からの眺めを、担当者あるいは子供から聞きます。そうしないと判断を間違えてしまうからです。
 もし、社長やお父さんが山の頂上にいて「話を聞きたいから登って来い」と言われても、
登った経験もないし息も切れて苦労です。
頂上に着いて報告する時は、息もゼイゼイで何を言っているのか分かりません。
だから聞いているようでも判断を間違えるのです。
 上に立つ人は上から眺め、下の報告を聞くために山を下り、ゆっくりはっきり会話するのが大事なのです。

4)「待つ、じっと待つ」(何が起こるか眺めながら待つ)

zit1101-1.jpg©濱田恭輔
「なにか変だと感じた時」じっと待つのはそう簡単なことではありません。
 つい、口を出してしまうのです。それは、自分が心配だからというだけではないようです。
相手のことを思うからでもあるのでしょう。 
 たとえば、会社の部下に「あれはどうなってんだ?」と。家庭では、子供に「ちゃんと勉強してるの?」といった具合にです。
 返事は、たいていきまっています。「問題ありません」(だから、問題なんです)。
「ちゃんとやってるから、心配いらないよ」(だから心配なんです)。
 まだ、どこかに不安を感じるので尋ねます。「本当に問題ないか?」、「はい、ありません」(まだ問題がありそうです)。
「心配かけないでね」、「ほら、ちゃんと勉強してるよ」(本当にやってるのかしら)。
どちらも、1回目の質問では、どこか変だとわかったので修正したようです。
 2回目は、疑問をクリアするために、ただ返事を変えただけみたいです。
 さて、どうします?じっと待って、まだ変だと感じたら行動を見てから動きましょう。

5)「信頼とチェックの別」(信頼だけでは事故は防げません)    

sin1115.jpg©濱田恭輔
 人は信頼しないと任せられない。チェックを怠ると覚えないし育たない。
 ある日、若いお母さんが子供を連れて公園に行き自転車を与えました。乗りたいと子供にせがまれ練習に来たのです。
練習は毎日続きました。次第に練習の効果が表れ、女の子は危なっかしいながら自分でペダルを踏めるまでになりました。
ハンドル操作ができて母親の手から少しだけ離れて走れるようになったのです。
「お母さんが手を離しても、もう大丈夫だから」と笑いました。
 そうです。自分の力で乗れるようになりました。
お母さんはもう大丈夫と判断し「けっして道路へ出てはダメよ」と注意して、子供の要求を認めたんです。
 子供は面白くて楽しくて練習を重ねてどんどん上達しました。次第に自信がついて
道路を走り、車に撥ねられたんです。救急車のサイレンで母親は駆けつけました。
「どれだけ乗れるようになったかチェックしなかったんですか?」、「わたしは信頼してたのよ」。
 信頼とチェックの別を疎かにした結果でした。

6)「母親型か教師型で教わる教える」(互いに我慢と謙虚と相互扶助

hama1206.jpg©濱田恭輔
 「人に教える教わる」は二通りあります。
自分で一度もカレーライスを作ったことのない子に、お母さんが手取り足取り教えるのが【母親型】です。
逆に、前に多少作ったことのある子に教える時は、本人の意思を尊重して面子を潰さないよう作業をさせながら
都度アドバイスするのが【教師型】です。
 では、実際に見受けられる会社で教える教わる話をしましょう。
 先輩に教える場合には、その仕事を経験したことがなかったら了解を取ってから「母親型」で教えましょう。
教わる先輩も肩書や年齢に拘ってはいけません。
特に、若い後輩から新しいことを教わる場合は、母親型で教わるとぐっと吸収力が増します。
 教える後輩も、変に遠慮せず自信を持って教えることが大切です。
逆に先輩がその仕事に知識がある場合は教師型で(マニュアルに沿って)教えましょう。
その方が先輩のプライドを傷つけません。
 どちらを使うかは、相手を良く見て効果的な方を使うことです。

7)「心の入口」(見つけにくいのは自分の心の入口です)

kkr0207.jpg©濱田恭輔
「どうしたら得するかなあ」「こうやったらきっと喜ぶにちがいない」
「損しないためにこう言っておけばいい」。これらは、みな他人の心へ入る入口を探しているんだと思います。
 人はあれこれ損得で考える方が多いのかもしれません。
 では、自分の心の入口はいったいどこにあるんでしょうか。
小学校一年生の時わたしは悪いことをしたんです。ノートを一冊万引きしたんです。
一回目はうまくいきました。友達にあげたら喜んでくれたんです。
「やっと仲間に入れてもらえる」そう思って二度目は捕まりました。
店のおじさんに「坊や」と呼び止められ今も覚えています。
【自分の心の入口を発見しないと、過ちは何回も大人になって繰り返すんだよ】。
「絶対にしない」と約束しました。  
 定年になって、そのお店に行き仏壇に約束実行を報告しました。
それまで何回も怖い夢を見たんですが消えました。
 お酒やタバコがお医者さんに注意されてもやめられない。
借金や夜遊びは、特に自分の心の入口が発見しにくいらしいです。

8)「いつも心は春うらら」(今年の春また来年の春その次もあるさ)

syu0221.jpg©濱田恭輔
 仕事は真剣にやらないと失業します。仕事がなくなったら食べていけません。
 仕事はとても大変です。外で働いているお父さんお母さん、
家にいる姿は「実際に外で働いている姿ではありません」、忘れないことです。
くつろいだ姿や息を抜いた姿、そのだらしなさを見て「すべてそうだ」と思ってはいけません。
 仕事で一人前になるには大変です。でもプロになろう。何故プロになるべきか。
セミプロのままだとプロのお手伝いです、プロに便利に使われてしまいます。
技術を高めれば高めるほど人に使われる。「それがイヤでサラリーマンになりたくない」と
言った人がいました。サラリーマンはそんなに嫌な職業でしょうか。
 サラリーマンだって頑張れば地位も給料も肩書もついてやがてプロになれます。なんでもいいからプロになるべきです。
「自分に種蒔き育てれば春に花が咲く」。今年咲かなきゃ来年がある、その次だってある。
いつも心に「春うらら」です。
「ハルウララ」は百戦百敗、無勝利で走ったプロ馬です。頑張った結果です。

9)「かじり虫」(かじっておけば、あとで楽しみに変わります)

ham0306.jpg©濱田恭輔
 若いときに、興味をもって何でもかじる。そうするととても良いことがあります。
 何かを知りたい「お知りかじり虫」。オシャレをするなら「姿態かじり虫」。
なにをやっても中途半端。どれをとってもまともには身につきませんでした。
 挫折ばっかりして。ああ、俺ってダメなんだ。おカネ使ってムダばっかりして。
スキーに卓球、釣りゴルフ。どれもかじった。(今、はやりの『お尻かじり虫』?)
 あの頃はたしかにそう思ってた。でも、かじっておくのはとても大事です。
 親はおカネをくれなかった。おカネでなく親からのプレゼントはご飯でした。
味噌も醤油もお米もおかずもけっしてタダじゃない。おカネと同じ価値でした。
すべてがムダではなかった。古希を迎えかじったものが今になって顔を出した。
 スキーは初級コースで転ばずに滑っています。雪が降れば卓球をすればいい。 
 春になったら、ゴルフもショートコースでなら回れます。きっと釣りもできます。
いろいろかじって種を蒔いてきたお陰です。
親へは感謝するだけで許されます。

10)「当時は・・」(夜が明ければ『明日』を迎えます)

tou0313.jpg©濱田恭輔
 ある日のことでした。本の中に「明日」という字を見つけ「明日はどんな日になるだろうか」と考えていました。
明日は明るい日と書きますがそうとばかりは言えません。
 曇りの日もあれば雨の日もあります。急に辺りが暗くなって風が吹き嵐の日だってあります。 
 明るく楽しい日よりも暗い日が多いようです。八方ふさがりに思えて先が見えない。
いっそ死んでしまおうかと迷ったりして。
 でも、「明日」を「日 月 日」の三つに分ければそこにヒントが見えてきます。
左の「日」が小さくて右の「日」が大きな字です。日と日の間に「月」が出る。一日なん
とか無事に過ごせば必ず夜になります。頑張ってみませんか。
 我慢も頑張りも嫌なら、ちょっと明日まで時間を流して待ってみませんか。
 とにかくどんなに苦しくても一晩寝れば明日が来ます。一日を積み重ねれば経験という大事な財産が蓄積されるのです。
 あとで振り返れば「当時の想い出」として楽しく話せる日が来るのです。毎日はたくさんの想い出作りの連続です。

11)「夫婦・兄弟姉妹、いつも仲良く?」(とても楽しい世界が作れます)

8Bg93c8FB88Ei.JPG左から、72歳、74歳、68歳、66歳、69歳(=08年3月3日、湯沢町中里スキー場)
 よく世間一般で言われている会話に、こんなのがあります。
「夫婦なのに、なにさ…」「姉妹なのよ、それなのに…」「兄妹で、水臭いわよ…」などなど。
 最近、新聞やテレビで家族や家庭の事件が多くて気になります。
「遠い親戚より近くの他人」という言葉もありますがこんな写真を撮りました。
五人の平均年齢は約七十歳です。
 わたしたち夫婦が去年四月に湯沢へ移住しました。それで湯沢へ集まる機会が増えました。
集まって何をするのでしょう。
「なに食べる?」『なんでもいいよ』「星が沢山見えて綺麗でいいね」『ほんと。空気が澄んでて美味しいね』
「トンビって本当に輪を描いて飛ぶんだね」『うちの方じゃ見られないよね』
「散歩していると、いつもどこかで水の音が聞こえるわ」『ここにいると、水不足なんて考えられないよな』
「来年も、こうやって、二時間ぐらいは滑ろうね」『それには元気じゃなきゃね』新幹線で帰って行きました。
 メールが来ました。「いま着いた。ありがとう」また別なメールの着信音です。
「楽しかったよ。今シーズンもう一度行っていいかな?」
『いいよ。気楽に来て』。仲良しというのは、別に何がどうということもありません。
夫婦、兄弟姉妹の仲良くは、無理しないで思いついた時か気になった時に、
「たまには連絡してみるか」がポイントのようです。

12)「言葉の受け止め方」(人は言葉で傷ついたり喜んだり)

syo0410.jpg©濱田恭輔
 いつも読んで頂いてありがとうございます。専門家でない私は自分の経験でしか話せません。
ですから人それぞれの受け止め方で理解をしてください。
あまり気にすると書けなくなってしまいますので、「こんな考え方もある」という独善的なものとしてご勘弁ください。
さて今日のテーマは「言葉」です。言葉は厄介なもので、それがもとで人間関係にひびが入ることもあり、逆に言葉によって互いの理解が深まったりします。
どうして言葉によって相手とこじれたり仲良くなれたりするのでしょうか。
 4月になると新入社員として社会へ出て働きはじめます。そして最初に戸惑うのが言葉です。
「なんであんなこと言われなくちゃならないの」といった腹立たしさ。どこでも起こることですからあまり悩まないでください。言葉は人の持つ固有のものです。表現はその人の癖でもあります。
「表現で受けずに何を言いたいのか内容で理解しましょう」。それで少しは冷静になれます。

13)「教えを受ける」(考え方を正しく学ぶことが大事だそうです)

8Bg93c.JPG高橋義孝先生のご自宅。撮影は先生のカメラで、シャッターは奥様が押してくださいました。
 40歳前半の頃です。 目白のご自宅でドイツ文学者高橋義孝先生から直接話を聞く機会に恵まれました。わたしは東大卒でも九州大学卒でもありません。
先生は学者であり翻訳家、エッセイスト、NHK解説委員、横綱審議委員長、東京都教育委員でご多忙でした。
 仕事で悩むと電話をかけて貴重なお時間を頂きました。入院中で順天堂病院の個室のこともありました。
いつもその場には誰もいません。話の内容を外に漏らさないのが約束事でした。
ある時「私の知っている誰かを紹介してほしいですか?」と尋ねられました。
紹介された人に会えばこの状態を話さなくてはなりません。
先生と奥様との3人の場面を失うことで景色が変わるかもしれません。
「いいえ」と答えました。
「珍しい人だ」「変わっている」とおっしゃって「家族以外に撮ったことのない姿を残して差し上げましょう」。
シャッターは奥様が押してくださり出来上がった大切な1枚です。
「この写真は先生がお亡くなりになるまで人には見せません」奥様との約束です。
おカネや力をあげると人をダメにしてしまうので「考え方を差し上げましょう」。
考え方のいろいろをあげますから自分の力にしておカネは苦労して稼ぎなさい。
「もうひとつ記念を残しましょう」と席を譲ってくださいました。
昭和59年5月場所6日目、昭和60年5月場所10日目の2回。最前列でした。
国技館での観戦はわたしのその後に多くの教訓を残してくれました。
 仕事は真面目に努力すれば誰でも身につきます。
考え方を正しく持たないと景色が違って見えて行いが悪くなります。その教えをいまも大事にしています。

14)「子育て・親育て」(見えて来るのは面白い世界です)

 親として子供を持てば「子育ての時期」というのがあります。
 おカネの工面で苦労をさせられ、心配してもどこ吹く風だし、いったいどんな子になるんだか悩んだってなるようにしかなりません。
それが普通でしょう。そうしながら、どこの家庭の親も日に日に歳をとっていくのだと思います。
これで満足できればいいのですが、むなしく感じるようだと大変です。
でも、とにかく誰の子でもない自分たちの子なので大事に思って育てましょう。
じつは、育てたあとの楽しみ方があるのです。「子育て終えてモト取り方式」、こどもに頼んで親育てをしてもらうのです。
 どういうことかを話しましょう。
 子供は親よりも過去が少ないです。あるのは今と先のことです。
「充実した今を経験したい」「これから変化する世の中に凄く興味を持っている」「人生を成功者として送りたい」の3点です。
 親は経験した過去をもっています。その支えで今を過ごします。「先はどうなる」興味があっても頭がついていきません。
携帯やパソコンがその例です。ちょっと親子の立ち位置を交換してみるとこうなります。
 子供は親の経験した「過去」をもらう。親は子供がやる「未来」をもらう。
それを互いの「現在」で共有すれば「現在・過去・未来」が有効に使えます。
それには互いに乗り越えなくてはいけない条件があります。面倒くさいけど我慢する。できなくても怒鳴らないし叱らない。
しょうがないで苦笑い。少しでも出来たらほめて続けましょう。
 こんな子育て親育て。互いに離れて暮らしてもまめに連絡しながら手助けし合えば、面白い世界が見えると思います。

15)「わかりました」返事の落し穴(返事を信用して泣かされないために)

~津南ロータリークラブ卓話より~
8Bg93c8FB88Ei8Du8989.jpg津南ロータリークラブ例会=5月12日、津南町商工会
 会社でも家庭でも友達同士でも、どこでも交わされる会話が「わかった?」「はい、わかりました」。
返事を信じて私も随分裏切られました。
「何でそうなんだ」「嘘つきだなんて思いたくない」「いつも同じ返事じゃないか」「わかったかどうか確認する方法はないのか」。
あとでわかったのですが解決方法がありました。
 経験したことを5月12日、津南ロータリークラブで話す機会に恵まれました。
「吸収→理解→行動直視→阻害要因→阻害除去」流れは具体的にこうなります。
 話を聞いた相手は「ひとくくりに」「簡潔に」「身に置き換えて」の3種類のどれかで吸収します。
話し手はどれで吸収されたかはわかりません。吸収されたあと3段階で理解されます。
1)表面的にわかったように振舞いますが、本当は拒絶(そのまま放置する、聞き流す、後回し)している場合です。
2)頭だけで理解(知的理解)している場合です。
3)誠意を感じ自分の身に置き換えて理解(情意的理解)している場合です。理解は拒絶から知的理解へ
そして情意的理解へと移って次第に行動に結びついて人を成長させて行くわけです。
 「わかりました」と返事したのに行動できない人は2種類の阻害要因を抱えています。
本人の仕事を優先する「自己都合」ともうひとつは他人からの依頼の仕事を優先している「他者都合」です。
指示したあとには必ず相手の行動が変化しているかどうかを直視しなければなりません。
もし変化してなければ「自己都合」か「他者都合」のどちらかが阻害要因です。
だからといって怒鳴ったり叱ったりしても何の意味もありません。
ひたすら時間をかけて(たとえ言い訳であっても)相手の言葉に耳を傾けましょう。
あなたのやるべき仕事は阻害要因を除去することです。それが出来て「人を動かす技術」が身につきます。
 今回は、津端茂雄さん(YC読売センター津南・湯沢)の紹介で、津南ロータリークラブでお話をさせていただきました。
今後も地元でお話をする機会があったらいいなぁと、思っていますので、お気軽にお問い合わせ下さい。
(吉田昇司 tel090-4542-7431)。

16)「個性を認める」(人はそれぞれ別なのです)

 結婚して44年になります。いまだに大発見です。
こどもがいます。もちろん成人しています。でも大発見です。
皆さんもたぶん同じ経験があるのでしょう。
「え?そんなこと考えてたの?」「今になって、まさか言うかなあ」などなど、
「こんなに親切だったんだ」「まさか!知らなかったよなあ」などなど…。
 同じ屋根の下で長く暮らしても、血がつながっていても、良くも悪くもいつでも大発見すると思います。
腹の立つことが多いかもしれません。でも大発見。
 「何故そうなんだ」と気になるようでしたら、こんな考え方はどうでしょう。
夫婦と子供、兄弟姉妹、親戚筋、あるいは友達や職場の同僚、見知らぬ誰でも。
誰もが個人です。誰でも男性あるいは女性です。
 個人 
 性別 ※(個人と性別)
「個人と性別」を左右に分けるとこうなります。
 個性
 人別 ※(個性と人別)
 学歴・肩書・収入・家柄・名声など、いろいろなものは、みな人別に飾られたものではないでしょうか。
すべての飾りをひとつひとつ取り除いていくと残るのは個性なのでしょう。
個性は立派に育てることができます。逆に悪く育てることも可能です。
「大発見」がそのきっかけのように思います。
人と人が互いに認め合うことで個性が尊重され、個性を育てるゆとりが幸せを呼ぶのでしょう。

17)「言葉の掛け算」(その1人に分かってもらうのが大事なんです)

  いくら話してもお父さんはわかってくれない。
「だからお母さんから言ってよ。それでダメならお母さんも入れて家族全員で訴えようよ」。
 同じような景色が会社でもありました。
課長がわかってくれないので会議を開いて全員で訴えていました。
ここのお父さんも課長さんもけっして分からず屋ではないはずです。
 これにはこんな大きな落し穴があります。こんな考え方は如何でしょう。
 理解できてないお父さんを数字に置き換えると「0」で課長さんも「0」です。
ゼロにみんなが掛け合っても結果はゼロでしかありません。イライラが残るだけです。
もしかすると大きなトラブルに発展しかねません。
下手をすると道を誤る原因にもなりかねないし、人間関係が壊れてしまうかもしれないのです。
 分かってもらえるまで短気を起こさずにじっくりと努力を重ねてみてください。
話し始めていちどきに長い時間をかけるとこじれそうになるかもしれません。
 お父さんにも、課長さんにもその日によってその時によって調子の波があります。
調子の悪いときに時間を掛けると場面が悪くなります。
つぎの時にもお互いに悪い雰囲気をひきずったまま話すことになりかねません。
 様子を見て頃合いを見て引き上げるのも大事なポイントです。
その上で何回も訴えてみるのです。
 それでもダメなら戦術を変える。凄く反発された表現は刺激的なので二度と使ってはいけません。
戦術と言っても言葉の表現を変えるだけです。
「どうしても解ってほしい」。解かってもらえたら「1」です。
「1」にできれば家族5人で(1×5)、課員10人で(1×10)。楽しいですよ。

18)「できたら…」(この言葉は緊急を要する知らせです)

 お医者様からの言葉だと、こんな場面があるように思います。
「できたら、タバコをやめたら如何ですか?」
「できたら、お酒はやめたほうがいいですね」
「できたら、検査を受けた方がいいですね」
会社の先輩からの言葉だと、こんな場面も想像できます。
「できたら、家に帰って寝なさいよ」
「できたら、課長と話してみたらどうなの?」
この「できたら…」という投げかけに、人は一般的にどう対処するでしょう。
【タバコをやめたら如何ですか?】…「やめた方がいいですよね」で、吸い続ける。
【お酒はやめたほうがいいですね】…「わかってますけどね」で、飲み続ける。
【検査を受けた方がいいですね】…「そうします」で、その場で予約をしない。
【家に帰って寝なさいよ】…「はい。わかりました」で、そのまま働き続ける。
【課長と話してみたらどうなの?】…「課長も忙しそうだしね」で、躊躇する。
「できたら…」は、「今すぐ」という緊急の意味なのです。
 「できたら…」の言葉ですぐに行動を起こしていれば責任が持てる。
私の力で何とかできる。そういうことなのでしょう。
 「できたら…」という意味は【今すぐに】というふうに理解してみましょう。
タイミングを逃すと、治るのも治りにくく手遅れ状態になってしまうでしょう。
 それでダメな医者とか、ダメな上司などと口にするのは、失礼なことですよ。

19)「ほっといてよ」~と言われてもほっとけません

 「オレのことなんか。どうなってもいいだろ。誰も心配なんかしてないよ」
 「わたしのことなんか、もうどうでもいいんでしょ。
かまわないからほっといて」いつかどこかで。一度ぐらい聞いたか何かで使ったか。
そんな記憶ありません?
 もし使ってたら、わたしと同じです。そう思った時があったんですよ。
誰も心配してなかったのでしょうか。誰にも迷惑かけていなかったでしょうか。
助けてくれた人は何処にもいなかったのでしょうか。こんな考え方もあります。
 もう涙があふれて、近くにあったティッシュペーパーに手が伸びました。
ティッシュペーパーがなかったらどうしたでしょう。
その時はタオルで拭きますか?タオルがなかったらどうするでしょう。
手でぬぐいますか?服になすりつけますか?服がなかったらどうしますか?
洗面所へ行く?水道の水が流れなかったらどうしますか?我慢する?
それで目が痛くなったらどうしますか?お医者さんへ行く?
どうやって行くんですか?歩いて行く?靴がなかったら裸足ですか?
 ティッシュペーパー作る人。タオル作る人。服作る人。洗面台作る人。
水道管作る人。お医者さんになる人。その人たちを手伝う人。運ぶ人。売る人。
 いろんな職業の人が頑張ってくれているからこうして毎日暮らせるんです。
その人たちが守ってくれているからなんです。
“どうでもいい”なんて思っちゃダメですよ。誰も一人ぼっちにはしてません。
誰かが見守っている。誰かを心配している。だから皆が毎日働いているんです。

20)「働いています」(お母さんの隠れた才能に感謝しよう)

 お父さんの職場は会社。お母さんの職場は家庭かな?
 やっていることのどこが違うのでしょうか。こんな見方もできますよ。
 「今夜の夕食どうしようか」過去を振り返る【データベースマネジメント】
 「カレー食べたのはいつだったかしら」振り返る【データ整理と分析】
 「そろそろみんなも食べたいだろうし」考えを具体化する【企画・計画】
 「家族4人分」肉や野菜やご飯の分量を決める【目標設定】
 「喜ぶのはビーフとチキンのどっちかな」家族の雑談を思い出す【市場調査】
 「何がいくらだからどれだけ買おうか」瞬時の決断【予算配分】
 「このお鍋も永く使って古くなったわね」買い換えようかな【設備投資】
 「さあ支度にかかろう」冷蔵庫にある材料を確認する【段取り】
 「帰りに誰に買ってきてもらおうかな」用意と買出し【役割分担】
 「買物頼んだわよ」間違いなくお願いする【指示命令】
 「美味しいのを今作っていますよ」間違いのない運びと手さばき【製造】
 「本当に美味しいかしら」味見してみる【品質管理】
 「夕食準備完了」これでひと通り終わったわ【現状把握・現状確認】
 「美味しいわ」「本当にうまいよ」食卓での会話と笑顔【顧客満足度調査】
 「こんどはシーフードで作ってほしいな」要望に耳を傾ける【消費者ニーズ】
 「つぎの構想を練る」本屋さんに立ち寄る【資料整理と歯止め】
 お母さんの毎日は、まるで会社の経営です。お母さん!ご苦労さんね。感謝です。

21)「自分で自分を見捨てない」(疲れたら休みましょう)

 被害者意識が強い。悶々と悩み続ける。酒や異性で悩みを癒す。誇りを捨てる。
主張を曲げて同調する。打たれ弱い。見解の相違を気にする。人目を気にする。
本当の自分を隠す。孤独を嫌う。眠れなくて薬に頼る。自暴自棄で家庭を乱す。
思い詰める。本音が吐けない。目立つのを嫌う。笑わない。言葉に勢いがない。
家族と仲良くしない。人に媚びる。見抜かれるのを恐れる。
この中に、あなたにもいくつか心当たりがありますか。
休んだらどうです。体を横にするといいですよ。眠くなくても横になりなさい。
わたしにも経験があります。
仕事って大変ですよね。入院の経験は4回あります。1回は入院せずに手術が1回で計5回です。
本当かって?本当です。でも、今はこんなに元気です。何故元気になれたのか。それは挫折する時の理由がわかっているからです。
 最初に述べたようなことが予兆として出て来ます。今はそれで踏みとどまれる。
以前のわたしはこんなでした。「疲れているんだろ?」そう自分に尋ねます。
返事はきまって「疲れてなんかないさ」「大丈夫だよ」「心配いらないって」、
これがよくなかったんです。自分に向かって正直になれなかったんです。
何故だったのでしょう。人に負けたくないからでしょうか。
自分に負けるのが恐かったのでしょうか。「自分で自分を見捨てない」「疲れたら休もう」。
経験してから解ったことです。

22)「カドの取り方」(くぼみを埋めて自分を作ろう)

 こんなことを、どこかで耳にしたことはないですか。
「大人になんかなりたくない。丸くなって皆つまらない人間になる。
だから、長生きしたってなんにもならない。大人になっても良いことなんかないと思う」。
はたして、この見方は正しいだろうか。
周囲の大人だってダメな人ばかりじゃない。
きっと立派な人だっていると思う。そこで、こんな考え方をしてみたらどうだろう。
 人は成長するにしたがって人間味が増して行きます。
「カドが取れてきた」「丸くなってきた」と言われます。
丸くなってつまらない人間になってしまうのは「カドの取り方」に、
二通りあるのを知らなかったせいではないでしょうか。
 誰だって子供の時はデコボコしています。
デコボコのカドを取っていったらどんな形になるでしょう。丸くなります。
その丸がまたデコボコしたのでカドを取って丸くなる。
こうすると丸はだんだんと小さな丸になってしまいます。
これではたしかにつまらない大人になるでしょう。
 逆にデコボコのくぼみを埋めてったらどうでしょう。丸くなってきますよね。
でも、すぐにデコボコになる。これが成長です。
成長してできたデコボコをまた埋めて行くのです。
そうすると今度の丸は前より大きな丸となって実現します。
これって工夫や努力が必要で大変だけど喜びも多いんじゃないだろうか。
これを繰り返して自分を丸く作って行ったら多分魅力ある大人になれると思う。

23)「すぐに両手を広げましょう」(その中になかったら明日にしよう)

 仕事のことが頭から離れなくて困っている。たびたび耳にする話です。
 大学病院勤務の知人(精神神経科)から実際に教わったことを紹介します。
 「先生に相談したいんですが。仕事が頭から離れなくて家に帰っても思い出すし、食事中でも仕事のことが浮かんでくるし、極端だとお風呂に入っている時でも急に仕事を思い出したりします。そうだあれもやっとかなくちゃとか。あれを連絡するのを忘れていた。そんなことの繰り返しでいま疲れています」。「それは疲れるでしょう」。「こんな時はどうすればいいですか」。「疲れているんですね。当然です。課長というのは立派な大人を部下にして指示をしたりチェックしたりするわけです。仕事上とは言え精神的には異常な状態に置かれるわけです」。「そこから開放される方法はないのでしょうか」
。「会社を休むことは許されませんね。では会社を辞められますか?それもできませんね。課長を降りたらどうですか?それもしたくない。わかりました。ではこうしましょう。食事中に仕事のことで電話をかけなくてはと感じたらその場で両手を広げてください。そして広げたままグルッと回します。その円の中に電話機がなければ明日にしましょう。あるいは入浴中に思い出した場合はすぐに両手を広げてグルッと回します。その範囲にメモ用紙とペンがなかったら明日にしてください。明日とは『明日になって頑張りなさい』の意味です」。
 この話は参考までの話ですべてに当てはまるとは限りません。しかし、1日どう頑張っても仕事は残るわけです。明日はやり残しをこなす日に当てましょう。

24)「幼い時からの躾(しつけ)」(大事な礼儀作法の伝統)

 日本には、おじいちゃんやおばあちゃんが昔からやっていることがあります。良く注意して御覧なさい。こんな伝統的な日本の礼儀作法をしています。
 朝起きてきたら必ず「おはようございます」と挨拶します。寝る前には「おやすみなさい」と言ってから寝ます。ご飯の時にはお箸を手にする前に「いただきます」と言っていますが、これは食物であるお米や野菜など食材を作ってくれた人に感謝し、食べ物を調理してくれた人にだけでなく、食物から元気と命をもらっていることへの感謝の意味を込めて「頂きます」と言いますね。
 野菜を食べることは生きている野菜の命をもらうことです。肉を頂くのは生きた命を頂くわけですから「ありがとう」という意味から感謝して「頂きます」と言ってから食べさせてもらいます。終われば「ごちそうさまでした」と言って感謝をします。
 もし、人様の家へ上がる時には脱いだ靴は必ず帰りに履きやすいよう自分で揃えます。お客様の靴がたとえば脱いだままの方向だったら、お帰りになる時に履きやすいよう向きを変えて揃えて置く。誰か知っている人が尋ねて来たら「いらっしゃいませ」で出迎え、お帰りになる時には玄関でお見送りをするのが礼儀です。「また、お出掛けください」とご挨拶する場合もあります。「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」などは最低限度の約束事です。「起きたのかい?」「うん」。親子で朝からこんな挨拶をしていると進学しても会社員になってもひと目会って「育ちの悪い人」と判断されかねません。
 人生は礼儀作法と勉強と人としてのマナーを身につければ努力で何とかなりそうです。

25)「素直があって乗り越えられる」(そのままだと益々こじれるよ)

 学校だって会社だって一緒に暮らしている家族の中にだって、とにかく毎日いろいろあって悩みが尽きません。それは誰でも同じなのだと思います。
 「そこを何とかしたい」と思いますが、難しいのは気持ちの置き所です。
 人はどうしても少しでも自分が優位になるように考えてしまうようです。そうばかりしていると次第に素直さに欠けた人になりかねません。
 言い方を変えたり、自分が知ってても知らなかったように振舞うこともあるようです。全部が自分のせいではないのですが誰かを巻き添えにして自分の負担を軽くしようと知恵を絞ることもあるのでしょう。あるいは誰かをかばって一緒の仲間に入れてもらおうと考える貧しい気持ちに動かされることがないとは言えません。そんな自分に気付いて嫌になることもあるはずです。
 あとから考えると、もっと素直になって素直な気持ちで行動すれば良かった、そう思ったことはありませんか。家族との会話では「本当はどうなのさ」という言葉のやりとりが大事です。こどもの頃は「これからやりたいこと」「なりたい夢」そんなのがいっぱいあるでしょう。聞かれたら自分の気持ちや夢を素直に語ってみましょう。
 すべての夢が叶うとは思えないけどすっきりするのは確かです。最初から諦めたり、返って来そうな答えを予想したりしないで素直な気持ちで正面から話し合う。そうすれば今でなくても将来なら実現可能かもしれません。素直さがあれば本心は通じます。素直でないと心の叫びが人に届かないんです。

26)「人に対する見方」(全体と部分の双方を見た方が良い)

 「親としっくりいかない」「家族が一緒に暮らして何の意味があるのだろうか」だから、口をきかずに反発もする。行くあてもないのに家を飛び出したりもする。誰だって一度はこんな経験をしたのではないだろうか。
 でも、家族と毎日一緒に暮らしたい。どうしてだろうか。いま考えてみると、どうやらこんなことがあったからだと思う。
 親の嫌な部分ばかりが目についた。気にすると嫌な部分がますます多くなった。口うるさいし。やることなすことケチをつけられるし。「どうでもいいことだろ」。「それじゃ将来のために良くない」と言われ「わけわかんねえよ」と反発する。
 冷静になって考えるとちょっと変わる。「毎日こうして飯が食えているのも両親のお陰」「一所懸命育てながら心配してるのも理解できる」でも口には出さない。
 友達の家族を見るとみんな幸せそうだ。もしかするとこれは部分を見ているのかもしれない。毎日一緒に暮らしてないから全体なんか見えっこない。
 もしかすると、自分の家と同じなのかもしれない。自分の家のことを話したあと友達に「お前のウチって幸せだよな」って言ったら友達がこう言った。
「ウチだっていろいろあるさ」。それからは何かあったら部分と全体を見よう。そうしないと間違えそうだ。会社の上下関係、夫婦、友達関係も同じだろう。冷静な時は「部分」で良さを見つけよう。カッカした時は「全体」で考える。そして、その中から良さを見つけよう。そうしないと部分ばかりに片寄ったり、全体ばかりに目が行ったりして正しさを見失うのではないだろうか。

27)「なぜ勉強するのか」(それは自分のためと人のため)

 「なんで、無理してまで嫌いな勉強をしなくちゃいけないのか」。難しい課題です。参考になるかどうか分かりませんが、実際あったある人の例で書いてみます。
 高校時代、優秀な学生が周りにたくさんいました。彼は皆について行けなくなり自分を見失っていました。いつも通り家を出て学校へは行かずに一週間の不登校をしたのです。家に電話があって両親にはバレてしまいました。
 家にはお金がなくて参考書も買えないし、図書館へ行けば優秀な生徒が本を借りて勉強していました。「とても追いつけっこない」。そう思ってしまったんです。
 不登校があって先生から教えられました。「気に入らない先生や仲間がいても勉強はしておきなさい。試験問題が運よくツボに当たれば実力以上の大学に合格した例もあるから自分の力で行ける大学へ頑張ってみなさい」。なるほどと思いました。高校まで来たからには就職せずに大学への進学が親孝行かもしれない。
「とにかく学校を終えたら働かなくちゃいけないよ。学校の建物も教科書もグランドも部活の設備も社会で働いている人の税金で成り立っているんだから感謝を忘れちゃいけない。卒業して社会人になったら税金で若い学生を育てなさい。それが社会の役目だ」。いまからでも勉強に励めばきっと立派な人になれる。
 親を恨んでも何も生まれない。自分が勉強して精神的に強くなるしかないんだ。収入も増えていまの生活から抜け出せる。親の苦労も知り恩返しできるだろう。勉強するのはそのためだ。家が貧しくてもくじけちゃダメだ。気付いた時で遅くはない。くじけず追いつこう。
 彼は社会に出てからも勉強を続けたそうです。

28)「帰郷とお正月」(親孝行する、年に一度の最大行事)

 ♪もういくつ寝るとお正月。お正月は、年に一度の親孝行できる最大のチャンスです。人は子供を持ってようやく親の気持ちが分かるそうです。
 『子供を持って知る親の恩』「お母さん。親って子供のことをずーと心配し続けるのね」。「そうだねえ。おまえも子を持ったから分かって来たんだねえ」。孫の顔を見せに里帰りした娘や息子。さて一方ではこんな景色が見えるでしょう。帰郷した娘や息子は、お客様でもないのにご飯を食べて後片付けもせず、好きな時に昼寝などしてお風呂に入り、夜ともなれば我が子を預けて中学、高校時代の幼な友達に会いに出かけます。出かけた先では時間を気にもせず喋って喰べ、歌って飲んで友とも充分楽しんで挙句は遅くに帰宅する。
 長男の妻ともなれば大変です。「この時だけだから」と義理の母から諭されて陰で苦労を背負わされます。あと片付けの苦労も知らず土産を嬉しそうに持ち帰る後ろ姿。親はお嫁さんに感謝し、お嫁さんは夫の顔を立てて務めを果たした姿こそが実家の絆です。
 では、親と一緒にお正月を迎えられない人に親孝行のこんな考え方を提案したい。人は案外時間を気にせず生きています。まず親孝行できる期間を数字に置き換えます。たとえば「78歳で元気に過ごせるのはせいぜいあと10年しかない」。『120カ月』単純計算で日数にすると『3650日』です。お正月ならあと10回。お盆休みも10回。実際に親の顔を見て話す日数はどのくらい残っているのでしょう。
 折角のお正月です。帰郷できないなら、電話で「近況報告と感謝の言葉」ぐらいしたら如何でしょう。
「なんだね今更。親子なのにさ」。これが最大の喜びです。

二回目のお正月

 あけましておめでとうございます。
 皆様方におかれましてはお健やかに新年をお迎えのことと存じます。
 お蔭様で湯沢に移り住んで2年目の正月を迎えることができました。連載は28回を数えました。内容についてはそれぞれのお立場や考え方で納得いかないものもあろうかと存じますが、それも「ひとつの考え方」というご理解でお読みくだされば幸いです。
 さて今年の干支は「丑(うし)」です。豚や鶏は地表に生えた草を直接食べたりしませんが牛は人が口に入れても消化出来ない草を直接食べていながらそれでいて牛乳や人の生活に必要な肉を提供してくれているとても大事な動物です。
 牛には4つの胃袋があるそうです。第一胃袋で微生物を使って草を分解し栄養に替え第2・第3の胃袋が吸収しやすい働きをして消化作用を助け草の形を変えて第四の胃袋へ送り込むそうです。「モ〜」大変な努力をしてくれています。
「草を食べてどうして牛乳になるんだろう」それが不思議でなりません。もしかすると乳牛の白と黒の模様に関係があるのかも、なんて考えたりします。
 人間社会ではなにかと白黒(しろくろ)決めたがりますが乳牛は白黒どちらも体内に吸収して消化してしまう包容力があるのかもしれません。牛が草(くさ)を食べることについてはこんなことも考えたりします。「くさくさ」を辞書で引くとこのように出ています。「不愉快なことがあったり、憂鬱だったりして気持のすっきりしないさま」(広辞苑)。「くしゃくしゃする」って言うでしょう。一般に「気がくさくさする」というふうにも使われます。牛はどんなことがあろうとくさくさした気持ちを吸収して栄養にしてしまう、それが凄いと思います。
 モ〜ひとつは牛の鳴き方です。牛と同じように人だって「モ〜」と鳴きます。鳴いているうちに泣いてしまうこともあるようです。「モ〜いや」「モ〜だめ」「モ〜勘弁して」「モ〜これ以上は無理」「モ〜どうしようもない」「モ〜勝手にして」「モ〜ほっといて」。牛はこれを望んでいません。
 「モ〜ひと頑張りしたらどうかね」「モ〜少しの辛抱だよ」「ほれ!モ〜元気になったじゃないか」「モ〜ちょっとだ!」。牛の伝えたい本音はこちらでしょう。「大変なのは自分だけではない」この気持をしっかり持って暮らしましょう。
 さて、新年ですから笑える話でもしましょうか。
 丑年です。「牛・牛・ウッシッシ」って笑っては如何でしょう。
 丑年の1年。バカ丸出しは慎んでください。真面目に正直に暮らしましょう。 
 バカ丸出しだと【牛バカ丸】になって欄干から川へ落っこちてしまいます。どんな厳しい環境でも牛若丸になったつもりで危険をヒラリとかわしましょう。
 では、牛の字がついた「四字熟語」をプレゼントします。
【九牛一毛(きゅうぎゅうのいちもう)】多くの中の極めて僅かな部分のたとえ。「あんたがやったミスはたいしたことじゃない。九牛一毛。多くあるうちの些細なことだ。あまりクヨクヨ自分を責めたりしたら体に悪いよ。元気を出そう」。
 着実に一歩一歩。みなさまの元気なご活躍を心から祈っております。

29)「負けず嫌い」(心の貧しさをチェンジするタイミング)

 負けず嫌いの意味を辞書で調べたらこうありました。「強情で、他人に負けることをとりわけいやがること」(広辞苑)。なるほど辞書で知って納得しました。しかし、負けず嫌いについてこんな考え方はどうでしょうか。
 こどもの頃は、勉強も運動でも人に負けたくないという気持ちがパワーとなって成長するのでしょう。でも人にはそれぞれ事情があって苦手の分野があります。体が弱かったら運動で負けても仕方ないと思います。それ以上無理をしたらもっと健康を損ねてしまうからです。
 わたしの1年生は戦争中で国民学校でした。養護学校がなく「1組は養護学級」と決められ病弱なこどものクラスでした。
 午前の授業が終わり、検温して熱があると家に戻されます。わたしは常連でしたから小学校の旅行は1度も経験していません。体育の時間は運動場の隅で膝を抱え元気に動き回る友達の姿をただじっと見つめるだけでした。「自分に負けない《負けず嫌い》」そう決めたのです。人に勝つことは無理でした。体が弱かったからこそ、いちばん大事なことを教わったと思います。
 「人には負けたくない」そればかり気にしている人を見かけます。でも負けそうになると相手を恨んで傷つけていろんな手を使っても勝とうとするようです。それがどこの世界にもある「いじめ」なのでしょう。 きっと自分の気持ちが勝てそうもないのを知っているからです。
 負けず嫌いの矛先を他人に向けない。自分の気持と闘う負けず嫌いで戦うのが我慢とか辛抱なのかもしれません。心の貧しさをいつチェンジして強く生きるか、タイミングが大事だと思います。

30)「親の子への心配」(それ以上の心配だと重荷を背負います)

 若い時には理解しえないことでも歳相応に分かってくるのではないでしょうか。
 どの親でも、自分の子供を育てれば心配は尽きないものですが子供は自分の好き勝手で精一杯です。親子を巡る心配と好き勝手のギャップは容易に埋まらない。これでは親の体がもちません。
 そこで、こんな考え方はどうでしょう。子供が幼い時はいっぱい可愛がる。小学生ぐらいになったら何が悪いことかを教え警察の厄介にならなければ好きなことをさせる。中学生になったら頭脳づくりと体力づくりで運動と勉強の必要性を話してやる。高校生になったら就職か進学かで自分の道を決めさせたらどうでしょう。高校卒で社会に出た場合と、大学を卒業して社会に出ることの意味など経験を通して話してやるのも大事です。
 大学生になったら、もう親の手は届きません。陰での心配がせめてもの親の仕事。「普段心配している以上の心配はやめる」、責任感をもって無責任を超越する。これを『超越無責任』と名付ければ子育ても何かホッとするように思えます。以上、述べたことは「こうして子育てをしていたら」とわが身の反省を込めています。
 子供が成人しました。社会に出れば親の心配などしている余裕などありません。目の前の現実の処理で精一杯でしょう。でも不思議に親の心配をよそに、子供は大人になって行くものです。そこからはもう「超越無責任」でどうでしょう。  何故かと言えば、じつは親は自分の心配を抱えます。私から見ればお前さんが先で俺から見ればお前の方が先「御前崎の灯台」。足元は真っ暗でも遠くを照らせば生きる時間の尊さが映し出されます。子供の心配はそこそこで、そこまでです。

31)「大病が人を変える(成長させる)」その理由

 入院経験についてのお尋ねです。以下はわたしの事例です。
1、自分の力をもってしても「どうにもならないこと」があるのを知る。
2、専門家(医師・看護師ほか)の存在(職業の分離)を自覚するようになる。
3、専門家の指示に従わないと悪化(退院時期の遅れ)を招く。
4、病室にいるかぎり何をどうすることも出来ない(イライラは無意味)。
5、入院が長期化するにしたがって対話の相手が「壁とカーテンだけ」になる。
6、どうにもならない状態に置かれ初めて「人生の持ち時間」の空費を知る。
7、「命がもらえたら」と考えいろいろ反省する(やりたいことの多さを知る)。
8、暴飲暴食喫煙過労で入院したのに差入れについ手を伸ばし退院を遅らせる。
9、医師と看護師の連携を乱す我侭な行いでデータを狂わせば入院が長引く。
10、入院中で自分がいなくて職場の仕事は回っている(不安と焦り)。
11、無理をしなくちゃ偉くはならない。無理すれば病気になる(単純な結論)。
12、家族がいることを改めて思い知らされる(我侭許容と支えの存在)。
 壁とカーテンと睨めっこしながら日々が過ぎ「早く良くなる方法」を知ります。自分と家族を支えるため仕事に病気は付いて回るけど頑張るしかない。
 「もしかして(自覚信号)」の段階で、すぐに医師の診断を受けて、その上で指示には素直に従う。入院中は病院食以外を口にしない。見舞は遠慮してもらい差入れを固辞。回復力は医師と看護師の努力のお陰。3度の食事と日頃の節制。過剰な自信は落し穴。家族を大事に笑顔と感謝の日々を送るのが、心がけの基本です。

32)「大事なお客様」(どんなことがあろうと手放してはいけません)

 「ワガママなお客様について」の相談でした。以下は考え方のひとつです。
 お客様のワガママは当然のことです。腹を立てる方がおかしいのです。お客様は自分のお金を払います。買うか買わないかも商品もお客様が決めるでしょう。 
 どこのお店で買うかもお客様が決めます。そのお店へ行くか行かないかもお客様が決めます。いくらで買うかもお客様が決めたいのですが値段はお店がつけています。自由にならないのは値段だけです。お店に来てくれた。商品を決めてくれた。お金も払ってくれた。買ってもらってなにが不満なのでしょうか。
 自分と性格が合わないからですか?趣味がちがうからですか?お金持ちなので態度が大きいからですか?あなたより頭が悪いからですか?なにかにつけて好みが一致しないためですか?そんなことは商売と関係ないでしょう。買ってくれたらお客様でしょう。お金を支払ってもらったから商売がやれているのでしょう。 新たな商品も仕入れることが出来たでしょう。なにかにつけて気になるからでしょう。ワガママを我慢と感じるのは、個人感覚つまり人格的には個人人格の理解です。個人人格は「好き嫌いで判断すること」です。
 仕事で考えたらどうでしょうか。失っていいですか?他のお店へ買いに行かれてもいいのですか?他で買われたら売上げと利益はどうなります?社員に払う給料のために銀行へ担保提供ですか?組織として社員の調和はどうなりますか?組織の存続を考えたらどうなるのか。 
 「仕事で判断に迷ったら」、好き嫌いの個人人格をちょっと脇に置いて、仕事の人格と組織の人格で冷静に取り組むのも大事なことです。

33)「仕事に励む価値」(収入を得る他に働く人の品質を高めます)

 仕事をしないと収入を得られません。アパート経営の家賃収入で暮らしている人だって働いています。もしアパートのお風呂が壊れたらすぐに直す仕事が発生します。蛇口の水が止まらなければ工事業者を呼ぶのが仕事です。たとえ夜中であっても仕事をしなければならないでしょう。
 サラリーマンとして会社へ勤めても同じです。毎日始業時間に間に合うように出勤しないと給料がもらえません。自分が社長で会社を経営しても収入を得るために仕事をするわけです。 
 この連載の最初に「カップ一杯のコーヒー」について話しましたが、いろいろな種類の仕事を皆が役割を分担して働くから収入が得られるのです。これだと「仕事はやっぱり食べるため」と思うでしょう。では携帯電話が普通の時代になってあなたは公衆電話ボックスを探しますか。
 昔のフィルム映画を映している映画館にあなたは足を運ぶでしょうか。時代が変わったのに昔のままの仕事をしていたらあなたはどうなるのでしょう。あなたはきっと仕事のやり方を変えるでしょう。変えるように知識や技術を習得するでしょう。仕事が昔のあなたでない新たな品質のあなたを育てます。
 ただし、あなたが本気で働こうとせず「公衆電話ボックスのままでいいや」「映画はやっぱりフィルムだ」とガンコにこだわるなら、やがてあなたは会社で必要なくなり社会で働けなくなるでしょう。人が仕事をし、その仕事がその人を育てる。育てられた人が、また新たな仕事を創ります。こうして仕事と人は育て合います。無職になれば人も仕事もなくなり、互いに育てるものがなくなって迷うのです。

34)「笑いの創作」(つらさや苦しさをはねのける)

(例)【加山キャプテンコースト】
 加山雄三さんと言えば湘南の海と湯沢のスキーでしょう。歌が上手で、ヨットで海へ、ギターを演奏しピアノが弾けて、俳優で絵も描く。あそこまでなれたら「幸せだなあ」。
 成績表で「可」が「山」のようにある「可山」さんも元気をくれます。成績表で「優」が「三」つしかない「優三」さんだって元気をくれます。何処にも居そうな身近な可山優三さんも結構いいんじゃないですか。そう思えば、人生って「ボクは本当に幸せなんだ」で素敵に見えるでしょう。
「人生は学校の成績だけじゃない。自分を見捨ないことが大事なんだよ」。

(例)湯沢町【土樽】
 わたしは土樽に住んでいます。「土」と「樽」って良い響きです。「土」の中には大事な資源がたくさん隠されているような気がします。「樽」の中には醸成されたお酒と知識が詰まっているようで嬉しくなります。土樽には無限の可能性が隠されている。なんだか景色が違って見えて来ました。勝手にあれこれ考えてみることも人生で大事なんですね。

 「つらいこと」「悲しいこと」「イヤなこと」は勝手に来ます。
 「楽なこと」「うれしいこと」「楽しいこと」は、なかなか来てくれないから疲れるでしょう。気分で負けそうになったら「笑いでやっつける」のも技術なんですよ。
 あなたも「身近なことから笑いを作る」。そんな訓練をしてみたら、如何でしょう。

35)「いまの道の両サイド」(落ちれば一生苦労する)

 19歳の時に警察署のおまわりさんに聞かされたのが人生の《注意事項》でした。
 アルバイトの仲間が、不始末でボヤを起こし警察署に丸1日外出なしで事情聴取された。大学からの推薦アルバイトなので責任者としてドキドキしていました。
 『いま毎日キミは道を歩いているね。車道があるし歩道もあるね。歩道のないところは注意して歩くだろう。車にはねられないように気をつけて歩くよね』。 『道の脇には溝があるだろ?あの溝が曲者(くせもの)なんだ。人生の溝は人が一旦落ちると這い出せないほど深いんだよ。さっきキミの指紋を取っただろ。何のためだと思う?キミはこれから一生警察と付き合うんだよ』「いやですよ。わたしは悪いことなんか。してませんからね」『それは知っているさ。だけどね。社会はそういうもんじゃない』「じゃあ社会も警察も仕組みを変えるべきです」。おまわりさんの話はその後も続きました。穏やかな表情でゆっくりと話します。
 『キミが逆の立場で《事件発生》警察の人間ならどうする?指紋の採取だろ?
コンピューターによる照合。中に採取したキミの指紋がある。付き合い開始だ』。「事件の“たんび”ですか」『そうなるかもしれない。ならないかもしれない』。『似たような事件かそうでないかにもよる』「わたしはさっき言いましたが何もしていません」『犯罪を起こしてないキミの指紋はたぶん素通りするだろうけど。付き合いは残る』「イヤですね」『意味を理解すればキミは悪いことはできないだろう』。
 次の日も、消防署で丸1日事情聴取されました。道を歩いていて溝に落ちそうな危ない場面に出会ったらどう判断するか。年長者の経験話は貴重です。

36)「正三角形の教え」(歪んだ形に心を曲げない)

 わたしは自分なりにこんな正三角形を頭に描いて生活していました。正三角形の左隅に「仕事」、とがった部分に「自分」、右隅に「家庭」と書き入れた図は「仕事バリバリ・自己満足・家族円満」で見事な調和の正三角形です。
 仕事を左にどんどん引っ張ると自分が下へ引っ張られて沈み、家庭が仕事の方へと左に引っ張られるでしょう。自分の望みが押さえられたように感じ家庭が犠牲を強いられている感じです。ならば自分を上にどんどん持ち上げてみましょう。仕事と家庭は真ん中に引っ張られて最後は自分勝手な生き方になり仕事も家庭も失う図になります。では、家庭を大事にして右に強く引っ張りましょう。仕事は右に引っ張られて仕事の成果は遠のき自分は下に引っ張られて家庭に埋没しかねません。
 家庭内で介護の必要な生活があったり障害を抱えた家庭の場合もあり、自分が体調を崩していたり病気を抱えていたりでハンデを背負った場合など人の人生にはいろいろな事情が待ち受けます。そんな時は仕事の頑張りも犠牲に自分の夢もしばらく後回しにした生き方も大切です。生きてさえいれば次の機会もあります。医学も技術も進歩し人の心も育って助けてくれる。
 夢と仕事を一緒に追いかけるには自分の健康と家族の協力が欠かせません。三角形の3ポイントが歪むのを実際の生活でどう保つか。そこの原因と事情を納得できれば、仕事の人間関係や評価と収入などは単に現象の一つと考えられ、心の動揺を最小限に保てれば気分も安定し心を明るくできるでしょう。
 人生は良い時も悪い時もあり焦って自分を見失わないことが大事なようです。

37)「霞(かすみ)の語らい」(四方の山辺からメッセージ)

 高橋義孝さん(1913〜95・独文学者、評論家、随筆家)が、目の前で書いて下さった色紙。わたしにとっての貴重な一枚。苦しい時はこの色紙を見て読み返します。そして四方の山辺を見渡し峰に霞がかかる姿を見ると心が躍ります。 希望に届く可能性など自分にあるのだろうか。若い時に悩む課題でしょう。
 「可能性なら充分にあるさ。今からでも遅くないよ」誰が喋ったのか見渡すと
『間に合うから挑戦してごらん』わたしに語りかけたのは四方の山辺でした。
 それは霞の存在です。霞はたゆまぬ努力を人に促している姿に思えませんか。だからどんな峰にもかかっているでしょう。
 迷っている人にさっきから語りかけるその霞の言葉に耳を傾けてみましょう。
「いろいろと希望を抱いているんだろうが」「高くて手が届かないと思ってるのかい?最初から諦めているんじゃないのかね」「考えてないで。やってみなよ」「人生の時間なんてどんどん過ぎて行くもんだし」「振り返って見る歳になれば。分かるんだが。それでは遅すぎるんだ」「たとえ80歳生きても所詮は季節で桜が80回咲くってだけのことだ」「若い時には時間があり過ぎて持て余すけど。歳になってみると『何してるんだ』と時間の足りなさを思うのさ」。
 「楽しむのもいいがね」「苦労の先取りか楽しみの先取りかで人生は異なる」「若いうちに苦労すればあとで苦労が少なくてすむし、若い時に楽しさばかり追いかけていると、歳を取ってから苦労を背負うことにもなりかねない。そんな話なんだがね」「それを人のせいにするか社会のせいにするかだが。みな同じ時間を使って生きているだけなんだ」。霞は四方の山辺にかかると周囲を見渡して人と峰に語りかけています。自然の美しさと清らかさ。魚、鳥、小動物、豊かさは住む人の心を和ませ、この地にはコシヒカリと遜色ない豊かさがあります。

38)「あっちこっちへワイワイガヤガヤ」(流れに乗って感動を手にしよう)

 皆が嬉しそうな時には、「自分たちも一緒になって楽しむ」のが大事ことです。「そんなこと興味ないから」、そんな理由で参加しないのも方法でしょうが、参加してみるのも良いのではないでしょうか。
 「なんでそんなに楽しいんだろう」それは参加をしてみて分かることです。実際にその場に立ってみて初めてわかることもたくさんあります。
 「くだらないこと」と頭ごなしに決め付けないで、人には「いろいろな考え方」「いろんな楽しみ方」「いろいろな感動の仕方」「たいしたことないのにワイワイガヤガヤ」。それを知るのも人生で大事な糧になります。
 社会へ出てみるといろいろな人がいるのに気付くでしょう。思考方法のちがいや行動の食い違いで意思の疎通に苦労する人がいるかもしれません。だからといって協力なしで仕事を進めるわけにもいかないでしょう。人を嫌ってすまされることではありません。学生時代に友達を見回して既にわかったことでしょうが、もういちど原点に戻って人との交わり方を考え直し、自分の殻に閉じこもるのではなく外出するのも良いことです。
 あっちこっちへ旅してみる。たとえば、NHK大河ドラマ「天地人」の盛り上がりに一緒になって乗ってみる。平均年齢70歳を越えた私たち二夫婦は、このチャンスに上越市の林泉寺・春日山。南魚沼市の雲洞庵・坂戸城跡・直江兼続公伝世館・銭淵公園・天地人博南魚沼・関興寺・樺沢城跡・龍澤寺・浦佐毘沙門堂などを巡りました。
 社会の流れに乗って人々から感動をもらい、いろいろ吸収することで、心の豊かさと想い出が残ります。

39)「悪魔の囁き」(あなたのためを思って囁くのではありません)

 「やめておけ。聞かなかったことにするから、知らなかったことにしろ」「目をつぶれ。頃合いを見てオレが上へ話す。やりたければお前の責任でやれ」「深入りするな。知らない方が幸せだ。自分の身だけを心配しろ」「ひとりだけ目立てば損をするだけだ。悪い様にはしない。組織ぐるみだ」「ひとりの力なんか所詮しれてる。これも必要悪で生きる知恵ってものさ」「圧力に屈したわけじゃないが、正しいことが通らないこともある」「あまり騒ぐな、このままなら資本の論理に負ける。長いものには巻かれよう」「上と戦って勝てると思うか。組織で働く人間の抱えた悲哀なのだよ」「発覚したらキミだけの問題では済まさないぞ。キミも家族が大事だろう」「皆承知で渡っている。一度に全員は辞めさせない。怖がらなくていい」「誰もが陰でやる。黙って待てば順送りで手にする。弱い奴だけがやられる」「こちらからわざわざ言うことはない。上に嫌われるぞ。調べられるまで待て」「どっちが損か得か考えろ。何の為に学歴つけて今日まで努力したんだ」「やり過ごせ。口裏を合わせるんだ。でっち上げて他へ目をそらせろ」「ここまで来て今更言えるか。正面突破で冒険しなきゃ捕まるだけだ」「所詮ひとりの力なんかしれている。数の論理で勝てる保証などない」「たとえ捕まったとしても上も同罪。計画は綿密。手を汚しても余りある」「ここだけの話だ。上に話は通してある。知っているのはお前とオレだけ」「ほんの小遣い程度のごまかしだ。上の方はもっと甘い汁を吸っている」。
 こんな言葉を囁かれて道を誤ってはいけません。こんな台詞を囁く人は、最後にきまってあなたを切り捨てます。

40)「出会って掴んだ人生の価値」(考え方の姿勢で方向が見えてくる)

 もし、出会っていなかったら今もまだ右往左往しながら悩み続けたことでしょう。
 出向した会社でMさんと出会いました。隣の席にいたMさんが「もしかするとおまえにとって人生が開けるかも」と紹介してくれた社長がいました。
 業界の最後発で工場が一つしかなくても社長は真面目で一所懸命でした。
 紹介されて出会った時「一緒に仕事をしよう」と私を誘ってくれました。丸の内から下町へ。帝釈天のお導きかと思えましたが「採用して期待はずれだったら私の処遇はどうなるんでしょうか」と尋ねたら、「誘っておきながらで失礼だが辞めてもらう」と言う返事でした。わたしはその瞬間に丸の内を捨てました。正直な人と苦労しながら夢を叶えよう。《人生でウソのない人と仕事をしたい》。
 半年後のボーナスは16歳年下の社員よりも少なく支給されました。《ウソのない人がしたこと》そこで【努力は自分・評価は他人】の『語録』が出来ました。入社して3年間は戸惑いの連続でした。でも、いつも出会った時の台詞を思い出しながら信じて働き続けました。けっして答えを教えてくれないのでとても冷たい人に思えました。しかし行き着いた答えは《言葉で受けるのではなく内容で受け止める》でした。
【言葉で聞いて内容で受け止める】の『語録』がまたひとつ出来ました。そうしたことですべてが見えて来たのです。言葉だけで受けて「言うこと」と「やること」が違うからと悪く言って会社を去って行った多くの人を見受けました。
 人の表現は誰もが個性的。言葉は育った背景で異なるものです。私も歳を重ねながらその社長に出会えたことを今でも感謝しています。

41)「天候・健康・交通」(この3つを組み合わせれば話し上手に聞こえます)

 話すのが苦手な人も。その場で頼まれると慌てちゃう人も。これでもう大丈夫。
 朝礼ではこんなふうに「天候・健康・交通」。
「おはようございます。《天候》あいにくの曇り空です。予報はところによって午後は雨になるとも言っていました。《健康》こんな日は心も湿りがちです。《交通》仕事のことを考えながらの運転は危険ですからどうか注意してください。《健康》風邪などひかぬように今日も元気で頑張りましょう」。
 立ち話ではこんな具合に「天候・健康・交通」。
「《天候》いやあね。天気がはっきりしないで」『《健康》こんな時って風邪ひきやすいのよね。洗濯物も乾きにくいし』「《健康》新型インフルエンザ対策どう?」『マスクは買ったけど。世界中で蔓延しているみたいね』「《交通》最近ETC使って出かけた?」『《健康》楽しいけど。帰ってきたらグッタリだったりして』。
 結婚式だったらこのように「天候・健康・交通」。
「新郎新婦ならびにご家族ご親戚の皆様方へ心からお祝い申し上げます。諸先輩を前にして僭越ではございますがご指名によりひと言ご挨拶を申し上げます。《健康》まさに新郎新婦の日頃からの健康を祝福して今日の門出は《天候》空に雲ひとつなく快晴でございます。(雨の場合=《天候》昔から雨降って地固まると申しまして二人の固い絆を象徴したお天気でございます)。《交通》二人の人生にはきっと考えもしなかった数々の試練が待ち受けます。険しい道に差し掛かり苦しんだ場合は二人の話に耳を傾け体験談などを語ってやってください)。

42)「焦る・怯む・溺れる」悪の三段跳びに気をつけましょう

 挫けそうになる場面をたくさん経験しました。そして何回も実際に挫けました。
 そうした結果いまはだいぶ分かって来たように思います。反省したらきりがありません、数多くあって今となっては過ぎた昔の出来事となってしまいました。
 心当たりは三つあります。一つは、【焦り】でしょう。あせるな!あせるな!そう自分に言い聞かせていたのですが、周囲と比較してやっぱり焦るようです。
 つぎは、【怯み】でしょう。周囲に目を奪われると集中力に欠けて、ひるんでしまうようです。
 もう一つは、【溺れ】でしょう。周囲と比較してうまくいっていると、どうしても自分自身に溺れてしまうようです。原因は、比較の仕方に問題があったような気がします。自分自身の置かれている現在をもっとしっかり確かめれば、自分のことが見えたのかもしれません。結果から考えると、周囲と比較してばかりいたような気がしてなりません。それが経験不足だったのか、単なる若さから来たやる気だったのか。現在は、自分自身と話をしながら暮らしています。何かをやる時は『これでどうなんだろうね』自分に問いかけ、ちょっと気になると「もう少し考えてからの方がいいんじゃないの」と返事が来て、自分の中に他人が住んでいる感覚です。「もうちょっと頑張ってみたらどうなのさ」『疲れちゃったんだけど』嫌がる自分を心の他人が励ますようです。
《じゃあもうちょっと続けてみるか》ボヤキながら立ち上がります。自信に溺れてしまい、過信につながったようです。
 「焦る・怯む・溺れる」悪の三段跳びに長年、随分と苦労をさせられたので、焦らずゆっくり、怯まずじっくり、溺れずどっしり、でどうでしょう。

43)「メモの効用」仕方なくから積極性へ

 《もう少し自分にも何かできるんじゃないだろうか》若い頃は悩み続けました。考えてみると《人付き合いも下手》《お世辞も言えない》《体も丈夫じゃない》《なにをやっても長続きしない》。結局はダメなんだ。何度も諦めかけました。でも授業には真面目に出て、先生の話は『仕方ないので』ノートにとりました。試験の前になるとそれを友達に見せたのです。人に勝てるものが見つからなかったのです。
 会社に入っても、人と一緒に酒を飲むのが苦手だったので、『仕方なく』仕事をしていました。他人が嫌がる仕事を忙しそうにしていると『それなら仕方がない』と言われ、難しい仕事が防波堤になりました。でも、やった仕事を忘れないように自分なりにメモしておくことにしました。
 「出来ません」「やれません」「参加しません」と言えば角が立つので、『仕方なく』酒の代わりにウーロン茶を飲んで人と付き合うこともありました。仕事はとにかく夢中でやりました。すると《アイツはああいう人間だ》と評価が定着したのです。メモを人に見せると参考になるらしく皆が喜んでくれました。ますますメモをとることだけを熱心にやりました。やがて書くことが苦にならなくなって次第に性格も明るく変わって自信がついたのです。
 人付き合いが下手で、人間関係もうまく出来なかった、わたしを助けてくれたのは《メモすること》で、『仕方なく』書き溜めたメモの内容を組み合わせながら、自分で苦労して考えていると仕事の工夫が見えてきたのです。
 不器用でも人付き合いが下手であっても、人は何か一つ強さを身につければ、『仕方なく』やってたことも『積極性』に変わるようです。

44)「やってみてから考えよう」いっそ、やりながら考えたらいい

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 「どうしたらいいのだろう」と言われると、まず考えてしまうタイプだったので上司から何度も叱られた記憶があります。
 叱られた後に「おまえなあ。『(※)下手な考え休むに似たり』って、辞書でひいてみろよ」。
(※=よい知恵もないのにいくら考えても、時間がたつばかりで何の効果もない…広辞苑より)
 怒られ、叱られ、怒鳴られながら仕事して、何度もそんなことがあって、それが何年も続いて、人を恨んでも治らなくて、自分自身が情けなくて、何でこんな上司の下で働かなきゃならないんだろう。いろいろあって悩んだ結果『自分で治すしかない』と気づくのに長い時間がかかりました。結局わたしは《ペダルのない自転車》に乗ることにしました。「ペダルがなければ『足踏み』しない」、「ハンドルを向かう方向に合わせて前へ進むだけ」こんなイラストになります。
 タイヤは丸くないんです。ガタゴトと音を立てて回ります。とても苦労します。バランスをまちがえるとすぐに倒れてしまいます。ところが乗り慣れてくると何だかやめられないんです。周囲の目が「あいつ、きっと倒れるぞ」って、失敗を待ち望んでいるように思えるからです。
 「倒れるもんか、絶対に倒れやしない」。こうした気持ちからシッポで《バランス》を取るようになりました。シッポは後ろについています。つまり、過去にやったことをメモで整理して参考にすればバランスが取れると知ったからです。 
 あまり考えすぎないのがコツのようです。

45)「ニャートンの法則」(あれもやらにゃ・これもやらにゃ?)

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 うまくいかないことがあっても滅入っちゃダメですよ。若い時にはいろいろあるんです。一生懸命やったのに失敗して悔し涙を流すこともあるからです。
 でも、あまりそこにこだわったりすると次へ進むのが遅れるかもしれません。「やるだけやったんだから」自分を見捨てず励ますことも必要でしょう。
 うまくいった場面だって必ずあるはずです。感動したこともあるでしょう。失敗を数多く経験しても心の在庫に一つか二つでも喜んだ体験があれば、それで充分成功しているのではないでしょうか。
 社会へ出て働くようになると、人は毎日新たな経験を積み重ねて脱皮を繰り返します。昨日とちがう自分に脱皮して進化し、今日という日を新たに迎えます。そうやって、誰もが立派な人に成長します。
 ところで…おカネ持ちになれば立派でしょうか。会社で偉くなったら立派でしょうか。社会的に高い地位に就けば立派なのでしょうか。そうかもしれません。でも、そうでないかもしれない。おカネ持ちにはなれないけれど、家族みんなで仲良く暮らしている人がいます。毎日同じことをこつこつ繰り返しながら目立たずに働き続ける人だっています。偉くなりたい一心で頑張って梯子を登る人もいます。登ってそこからの景色を眺めたいのでしょう。 
 どの生き方も確かに人生としての生き方です。しかし、どんな結果であろうと、どれも一つの経験としてとても大事です。「ニャートンの法則」だと、どうなるんでしょうね。

46)「1日のはじまり」(はじめ良ければ終わりよし)

14.jpg「一日のはじまり」©市橋恭二
 「朝ゴハン食べていかないの?」「食べたくないから」「ちょっとでもいいから食べて行きなさいよ」「そんなことしてたら、遅れちゃうよ」。これは、こどものセリフでしょうか。それともお父さんが言った言葉でしょうか。
 ところで、あなたは朝ゴハンをしっかり食べていますか?最近、こどもや大人で朝食を食べていない人が多いそうです。
 「朝食を欠食する人」はどのくらいいるのでしょうか。あるデータによると、20歳代では男女共に約4人に1人、30歳代は約5人に1人が朝食を摂っていないそうです。
 昔から空腹に関わるこんな言い伝えがあります。
『腹も身の内』=腹も身体の一部であるから、暴飲暴食をつつしめという戒め。『腹が減っては軍(いくさ)はできぬ』=空腹では活動ができない…ともに【広辞苑】より。
 食べすぎや飲みすぎは体に良くないのはわかっています。暴飲暴食は慎みなさいという教えも知ってます。でも美味しいと、つい食べすぎてしまいます。気持ちが良くなると「もうちょっといけるでしょう」「じゃあ。この一杯だけ」なんてことで楽しく飲んでしまう。これはどこにでもある景色なんです。
 不規則な生活から抜け出せずに毎日が過ぎて行くと次第に気分も滅入ってきて疲れが溜まってくるようです。早く帰って早寝して、朝は早く起きて、皆で一緒に顔を合わせながら朝食を摂る。感謝して食べてこそ1日のはじまりです。

47)「セレニャードはダメニャード」

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 いくらリズムに乗って人生を歩んでいても、いつ何処でどんな目に遭うかは誰にもわかりません。
 彼女にはふられるし、彼氏にもふられるし、上司ともうまくいかないし、勉強したのに就職難だし、こどもの頃には元気に野球帽をかぶって、ピアノを弾いている子に憧れて、でも何も言い出せなくて、真夏の炎天下で運動に明け暮れて。思い返すといろいろあったけど、ところがどうでしょう。人生って最初良くても終わりに躓く人もいます。逆に最初がダメでも次第に良くなる人だっています。いまが悪いからってそんなに暗い顔しないで。元気を出しなよ。
 人には必ずできることがある。そこで初めて「これがやりたい」と思いはじめるんだし、とにかくやりたいことを長く続けているうちに自分に適した何かに気がつくと思います。
 有名になった人が良く口にするセリフ。「最初からこうなるつもりじゃなかったんですよ」「やってるうちにこれが自分に合っているのかなって」「漠然としたものが見えて、続けていたらだんだんとはっきりしてきて」。それでこれが自分の仕事なんじゃないかと思っていたら、いつの間にか職業になっていたのです。
 人生はどうもそんなことらしいですね。人によっては幼い頃の夢をそのまま実現できる場合もあるようですが、こどもの頃の「あれになりたい」「こうなりたい」と描いていた夢とはちがっても別に悪くはないでしょう。
 心地よい音色のセレニャードがダメニャードであっても、楽しく聞ければ幸せの一つでしょう。

48)「分かっているのかな」案外身近で大切なこと

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 難しい顔してなにやら読んでいるけど、猫の世界も読書が必要なようです。
ほんとうでしょうかね。ちょっと聞いてみましょう。
 「なんで?」って聞いてみたら「これからは、読書と語学が大事なんだニャー」昔、「読み、書き、そろばん」はセットになっていたように思います。
 インターネットが普及して最近は活字離れが進んでしまったようですが、身近でいちばん読みやすいのが新聞だと思います。世の中のあらゆる動きを読みやすく整理してあるからです。ところで若い人に新聞をとらない理由を聞いたら「携帯やパソコンで読めるから」と言われました。でもちょっと心配です。
 それだと興味のあるものしか見ないのではないですか?知識が片寄ってしまいませんか。大人になるといろいろ経験します。経験したことを組み合わせるには知識を幅広く持っていたほうが便利だと思います。それと書くことも大事です。 
 人は忘れるのが得意なので思いついたことや人から聞いた大切なことはすぐにメモしたほうが良いと思います。あとでまとめて整理すればきっと役に立つでしょう。ところで猫ちゃんは「ますます語学が大事になる」と言っています。今はインターネットの普及で世界が狭くなっています。ゴルフ最年少賞金王の高校生18歳、石川遼選手が英語で話している姿から若さの中に自信と誇りが見えてきます。サッカーも若い人とベテランが「刺激し合って」頑張っています。
 家庭でもお爺ちゃんお婆ちゃん、夫婦子供、みんな揃って仲良く「刺激し合って」元気で新年を迎えてこそ幸せなスタートとなることでしょう。

2010・Back Number

「寅年」

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 あけましておめでとうございます。
昨年の流行語大賞は「政権交代」でした。デフレ不況の余波で多くのご家庭が問題を抱えたとも聞いております。ここしばらくは厳しい経済環境下で生活することを覚悟しなければなりません。質素、倹約が大事だと思っています。
自殺者年間3万人。そう聞かされるとつらいですね。日々を楽しく暮らしている裕福な家庭でもどこかに悩みがあるのだそうです。
「自分で自分を見捨てない」「苦しいのは自分だけではない」。この2つをしっかり持つことが大事だと聞いています。
さて、今年は「寅年」で、虎にまつわる良い言葉が残されています。
【虎は千里行って千里を帰る】(虎は1日千里を行くけど、子を思って千里の道を戻ってくる。親心です)
【虎は死して皮をとどめ、人は死して名を残す】(死んだあとでも優れた名を残せるよう心がけ、胸を張って生きて行きましょう)
ところで今年は、「トラブル」「リストラ」「トラバーユ」が出没しそうです。
「トラブル」この虎が出たら、(現場に出向き誠意を持って対応しましょう)
「リストラ」この虎が出たら、(突然でも慌てないことです)
「トラバーユ」この虎が出たら、(適材適所を求めず適所と思って働くことです)
お蔭様で連載も48回になりました。どんな出会いがあるのか、楽しみです。
今年も荷物をたくさん背負って、元気に旅立ちますのでよろしくお願いします。

2010.1.21

49)「重なって浮かんでみる」〜見つめてみれば心にヒント

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 社会人としてスタートする4月はあっという間に近づきます。キーワードは次の3つです《どんな》《出勤すれば》《取り組みます》。社会人として飛び立つ前に、お父さんやお母さんと下記のことで話し合ってみてください。
【どんなにつらい仕事でも、出勤すれば人は何とか取り組みます】そうなのよ。
【どんなにつまらない仕事でも、出勤すれば人はいやいやでも取り組みます】
【どんな人との仕事でも、出勤すれば人はとぼけながら取り組みます】
【どんなに疲れる仕事でも、出勤すれば人は定時まで働いて取り組みます】
【どんな無駄と思える仕事でも、出勤すれば人はそれなりに取り組みます】
【どんなに恵まれた仕事でも、出勤すれば人は悩み苦しみながら取り組みます】(以上、拙書「基本となる考えが、仕事の秘訣!」から修正抜粋)
 取り敢えず第一歩として毎日出勤しましょう。新入社員だって戦力として当てにされているのですから欠勤したらダメです。足手まといに思われている感じですけどスタートは誰だってそんなものです。「なんの役にも立たないなあ」「学校でナニをやっていたんだよ」先輩からのこんな言葉は激励の部類です。
 苦しい時でも逃げたりせず、3つのキーワードを思い出して乗り越えましょう。
 毎日同じではありません。毎日出勤すればきっとそのうち分かりますからね。
ところが実際に会社へ出勤してみると、どうしたらよいか迷うことがたくさんあると思います。そんな時こそ頭の中で考えを重ね合わせれば、良いヒントが浮かんで来て、多分何かが見えてくるでしょう。

2010.2.4

50)「自分を変えることってむずかしくないですか?」

41.jpg「自分を変えることってむずかしくないですか?」©市橋恭二 ことしの干支は「寅」です。十二支の仲間に入れなかった猫が虎に変身しようと試みています。「ドラ猫ってどう?ちょっと変?」鏡の前で苦労しています。 
 「ドラドラ?」。でも誰が見たって虎はトラだし猫はネコでしょう。
 この絵を見ていると60年前「ああなりたい」「こうなりたい」と夢をふくらませていた中学生時代を思い出します。
 結局は「いま、こうなりました」。どうしてかって聞かれても「自分が作ったからです」としか言いようがありません。こうなってしまって何か損しただろうか。損をしたかもしれません。でも得したことも多かったと思います。
 ナニを損してナニを得したのか、いちいち覚えていません。過ぎたことです。
途中で自分を変えようと努力はしてみたんですけど、無駄だったようです。
 毎日の暮らしで自分を作っていたんだと思います。それがいつの間にか自分の模様になったようです。それを『人柄』と言うのかもしれません。
 お酒が入った途端にいつもの猫が虎になったらびっくりです。どうやって付き合ったらいいのでしょう。お酒が冷めた翌日は猫に戻って「昨日はちょっと飲みすぎたようで…」猫なで声で申し開きをされても困ってしまいます。どんな姿に映るかは誰の責任でもありません。美しく映っても相手の鏡が曇っている場合だってあるし、心の汚れが姿をゆがめるのかもしれません。毎日いろいろ苦労もあるでしょうけど、自然体で素直に暮らしてみたらどうでしょうかね。

2010.2.25

51)「まどろむ」

イラスト.jpg「まどろむ」©市橋恭二=2008年度NHK学園賞受賞作 疲れているわけでもないのに眠気をもよおします。頭がぼんやりしています。ゆらゆらと揺れているような心地よい感覚です。時間的にはそれほど長くはありません。目覚めているようですが眠っているのです。そうしているうちに気がつきます。たったそれだけの短時間でとても幸せな気分になれます。
 まどろみの時間は日頃の苦労から開放されるせいかもしれません。
 部屋の掃除、洗濯、買物、食事の用意と後片付け、たくさんのことを時間と予算の限られた範囲内で毎日繰り返しているお母さん。これは大変な苦労です。お父さんは家族のために働いています。それも大変な苦労です。こどもたちは好きでもないのに苦労して勉強しています。最初から勉強好きなのが珍しい。家族の誰かひとりでもその苦労をやめたらたちまち気持ちのバランスが崩れてしまうかもしれません。我慢も大事です。負けず嫌いも大事なことです。「どうしてもやらなくちゃ」。でも義務感だけでは気持ちは長続きしません。きっと人はそれほど強くないのです。だからと言ってけっして弱くなんかありません。自分の役割で家族ひとり一人が苦労しながら暮らしているのかもしれません。
 眠いと思ったら「まどろむ」、その短い時間で元気を取り戻しましょう。まどろむ人の表情は『優しさ』そのものです。
 猫も人と同じでまどろむときは幸せそうですね。

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